迷宮入りの手紙 ~恋のライバルに差をつける
迷宮入りの手紙 ~恋のライバルに差をつける

迷宮入りの手紙 ~恋のライバルに差をつける

公開日:2024.1.27

「しのぶれど 色に出にけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで」


隠そうとしても思わず恋心が顔にでてしまったという

百人一首の有名な恋のうた


作者は平兼盛


平安時代の貴族は恋のうたをやりとりして

和歌がうまい人がモテたという


言葉選びの知性と豊かな感性がないととてもじゃないがうたはつくれない

和歌がうまい=粋で聡明な人認定だったのではなかろうか


LINEのやりとりなど手軽な現代もよいけれど

なんともアカデミックで情緒のある古き良き話だと思う


庶民はそんなこと優雅にやってらんないよ~はひとまず置いといて


新聞といい手紙といい

アナログなやりとりは嫌いじゃない

white printer paper


予備校生時代、忘れられない手紙をもらったことがある


中学校までは優等生で

高校は進学校に進んだものの

広い地域から優等生が集まってくるし

高校の勉強はさっぱりわからず迷宮入りとなり

すっかり落ちこぼれ


予想通り大学にはどこも受からず浪人


友人たちはほとんど現役で合格し

楽しそうな大学生活の話が耳に入ってくると

気力もなく、なんとも切ない気持ちになっていた


そんな時に不意に1通の手紙が届いた


高校時代よく一緒に塀を超えていた同級生のフミヤからである


高校の隣になぜか予備校があり

「縁起が悪いから予備校の食堂に行くんじゃないぞ」と先生に注意されていたものの

そこのカツカレーが美味しくて夏休み塀を超えて食べに行ったり


放課後自習をしていたら

いつの間にか正門が閉められて

門の前で一緒になり

「塀のぼろうぜ」と2人でよじ登って帰ったり


刑務所じゃないけど

よく塀を超えた悪友である


ふわふわした自由人といった雰囲気をまとい

喋り方がちょっとけだるいチェッカーズのフミヤさんみたいなので

フミヤ


失礼ながらけだるい話し方から切れ者感はなかったけれど

有名私立大学に現役合格


私は受験の塀を乗り越えられなかったが

彼は越えていった


私が浪人したことを気にかけてくれていたのか

夏のある日に手紙が届いた。


「大学に行ったら浪人した奴いっぱいいるぜ。

しかも、浪人した奴って他人の気持ちがわかるのかみんないい奴ばっかり。

合格したら楽しみだな。」

と書いてあった。


浪人しても勉強はわからず不安ばかりだし

大学生活を謳歌している友人たちがキラキラまぶしいし

情けなくてこの世の終わりかみたいに落ち込みまくっていたので


その手紙を見ながら

ぽろぽろと涙がこぼれた


勉強頑張れよなんて直接的な表現じゃないところがセンスがある


それからは凹みそうになると

手紙を取り出して自分を鼓舞して勉強した


大学に合格したことを連絡をしたら

「ほう」と言うくらいでちょっと拍子抜けした


いい人なのか

単なる気まぐれで手紙をくれたのか

いまだに手紙のお礼は言えてないので迷宮入り


久しぶりに連絡来たと思ったら「今日、サザンのコンサートいこうぜ」とかまたも不意打ち

「彼女と行きなよ」

「いや、彼女にドタキャンされた」

人を便利屋としか思ってないのかと笑ってしまうが手紙を思い出して憎めない


仮に私がストレートで大学に合格していたら

世の中ちょろいなと甘くみていたかもしれない

素敵な手紙はもらえなかったかもしれない

 

真人間になるための神様の贈り物だったんだろうと今は思える


デジタルな時代だからこそ

アナログなものは強力な破壊力を持つことがある


手書きのメッセージがちょこっと添えてあったりすると

不思議とほっとしたり

嬉しかったり


恋のライバルと差を付けたいときは

アナログなメッセージもエッセンスとしていいかもしれない


あなたのメッセージは迷宮入りにならないようフォローも付け足して